ミレニアム放浪記

序章

僕にとって最高の友人である人たちへ

いきさつ
 少なくとも安全の問われている国への旅行は驚くほどややこしい。準備やなんやで、それも
また楽しいのだが手間がかかる。今回はあっと言う間に決まった旅行と言うやつだ旅は二つ
のパターンがあって綿密な計画と正確な実行能力が必要とされるタイプと行き辺りばったりで
自己開拓ルートに分かれると思う。少なくとも自分は後者であるような気がしてならないけど、、

今回のたびの始まりはヨルダン並びにアラブの予定で提案された。別の友人よりいかんかと
いう事でなったのだが 5月ごろ資金難より中止を申し渡された。
結構手をかけてというより興味を持っていたため(走り出したら止められないというか)ひくに引
けなかった。 少なくとも途中で投げだすのだけはしたくないと日頃から思っている。その気分
と言うか後味が嫌いだ。というわけで作戦は走り出したという訳だ。

6月7月と旅行会社に問い合わせるも答えを得られない。ヨルダン行きもいわれてそうしていた
がやっぱり行きたいのはエルサレムだしイスラエルにとなった。一人で行くのは心許ない上な
にせ高い。 同じサービスでワンランク上を行けるのなら当然それを取ると思う。という訳でパー
トナー探しをスタート。なかなか中近東しかも学校サボってともなると一筋縄ではいかない、まぁ
でも高校から冒険野郎環境だった気がするのでなんとなく決まった。説得にはかなりかかった
けどやはり楽しい物だそういうやつがいると言う事は。ここでは公開性も考えてs君としておく。

s氏の略歴、別の地元
の小学校、中学校ですごし高校で私と同じクラスになる。 結局同じなのは1年間だが色々とク
ラブ、クラスも違うもよくつるんだ。一番面白かったのは、水ロケット、よくペットボトルロケットと言
われるやつを飛ばしている時だと思う。受験の高校三年のわりにはゲリラ的に暴れた。さてたま
にはの連絡はしてみるものでなんとかイスラエル、トルコで決まった。8月私用によりなかなか
航空料金のチェックもままならずそんななかぶらぶら出まわっていた。ともかく旅行会社が言うに
は期間の変わり目でなどという。思うが9月にパレスチナ独立宣言のからみで中東戦争ぼっぱつ
で出せなかったのかもしれない。

結局10月第2週に決定 出発日の20日ほど前なだけであった。
出発日はs氏の都合で中間発表だかあるらしくそれでこうなる。 それと何故別の航空会社で行
く事になるかと言うとこういう訳だ。

先の10月第2週で決定の際にトルコかそんなに行きたいと言うのが魅力が失せて来たのとが関
係ある。 またいけるんじゃないか、ただそれだけで他にいける安い航空会社ないですかと、聞い
てしまった。そんなわけで今飛行機に乗っている。オーストリア東欧の国の中でファーストステップ
にはまず間違いが無いだろう。
それでこうも決まりつつある。結局のところどこでもいける国は行っておくべきだ。経験がものを言
うはずだ。

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初日

そんなんでオーストリア。 飛行機の中を見回してもリタイヤしたご婦人とか若い質素な
おねえちゃん、カップルぐらいなもの。少なくともサハラシャツにつばアリ帽子にジーンズ。
この冒険スタイルでいると浮いているような気がしてくる。
これから紛争地帯に行くと言う実感が違ってみえてくるからギャップも大きい。やっぱり音
楽などの芸術の都だから違うねとも思う。 飛行機は10時間それはなんか長いようで短
いかもしれない。と行っても壱冊小説を読みきるのだから短くも無いか。それにしても地球
の歩き方は流行だ。みんな持ってる。
そんななか自分だけコピーと言うのもけんか売っているのかもしれない。まぁすんませんと
この場を借りて誤っておこう。 オーストリア航空のスチュワーデスさんについても一言、上
から下まで真っ赤でタイツも靴も真っ赤だ派手と言うような気がしないでもないがヨーロッパ
の人だからこなせる業なのかも知れないと思った。
飛行機はエアバスa320 いつも思うけどボーイングよりテーブルが低くて飯が食べづらい。
その点は気になる。べつに航空機マニアではないからジェットがとかわからないけどそこは
ボーイングのほうが好きだな。あと困ったのはテレビないじゃん、、
おかげでみるものがなくて閉口する。そんなわけでねてた。何故か俺のとなりはいない。
空けて席なくて来た現地っぽいお兄さんとツアコンらしきお姉さんだけ。 どういう事かあまり
いないって事なのかわからないがともかくすいていた。この辺りのみ。 ほかはめっちゃ込ん
でたようだけど。
隣のご婦人と話す。イタリアにいくらしい。オーストリア航空でなく直行を使うのではないとこ
ろがなんだか面白い。 アリタリア航空は高いと言う事だろうか。 少なくとも直行便でなくい
くなんてなぁと思う。 ちなみこれからイスラエル行くんですよなんて言うとやっぱりびっくりさ
れた。紛争地帯に行く事事態非日常なのかもしれない。前まではよかったのになぁ。

これこそ覆水盆に帰らずと言う事か。結局10時間のフライトもこうして書いている内に揺れ
にもなって減って来ているようだ。 まぁこれから寝場所 探しの大イベントが待っているのだ
けれども。

夕方着 結局のところ宿探しが難航 まず位置がわからん。そのあといってもブウクッフ
などいわれる。ともかくフルだと言うことらしい。結局ペンションになる。でも日本のペンショ
ンと違ってホテルの意味会いが多い気がする。ともかくこれではかなわないので次の日は
ユースでと朝からいくととれた。ただパスポートをあずかるということで無いのには少しばか
りあせったがなるほどトラベラーズチェックくらいしか使わないから不要かとも思う。
身分証がないのはピンチな気がするけど まぁしょうがないとしよう ほんとはいけないの
だろうけど。

この辺でオーストリアのいやウィーンの生活の感じを書いておく。ともかく携帯は普及して
いる。運転中電車中 色々だが着信音もいる。別に気にしないようだ。ともかく機種は古い
のを使いつづける人がいる一方で新しいやつはひどく洗練されたデザインだ。いわゆる日
本でのノキアのがいっぱいある感じだ。ただでばらまいたりしているので日本の携帯電話
の販売と同じ様なものだろう。アンテナは基本的に隠す、いわゆるアンテナ嗜好は日本の
みでアンテナでそんなに変わる訳がないと思うのだが、、、

バス電車についてはひどく乗りやすい。公園のパイプみたいのがあって改札はとりわけ
無い。 だからといってただ乗りするわけにはいかないのでとりあえず切符買っておいた
けど特に検札は無かった。扉は狂暴だ。すごいパワーでしまるので気をつけなくてはい
けない。それと大きい駅にはほとんど体重計がおいてある多分、荷物用だろう。方向感
覚と(日本と逆なので)いきさきだけ気をつければどこでもいけるようにほぼなると思う。
通りが別ればというのはここでも通用する。

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2日目

二日目のフリータイムは結局のところ。市内観光で終わった。まぁ最初に前述のとおりユース
に行きその後から閑人のごとくぶらぶらした。荷物は減らしてもやっぱり重いこれはいつでも
そうなのかもしれないが難ともならない要素だ。
結局のところツアリストインフォメーションにて荷物を預け場所を聞くが駅まで戻れという。
いまきたばっかりなのにとも思いつつ結局預けにいった。ヨーロッパの駅はかなり機能的で
使いやすいまとまっているし空港のようにすべてが万全だ。
両替、インフォ、雑貨や、、まぁともかく便利だ。そんでもって預けて出発。コインロッカーはど
こでも他国語かが進みやすいのだろう無論日本語もあった。
その後 王宮 王宮博物館を経てケルトナー通りへ。感じとしては原宿竹下通りと浅草浅草
寺を足して2で割った感じだ。ともかくショッピングをしながらシュティファン寺院へ。やはり宗
教というか社会的な意味での宗教を考えさせられた。 涙を流す人しかりである。

昼はちょっと気取って外で食らう。バッグッセ(?)なるサンドイッチだがでかい しかも併せて
レモンソーダを頼むとただのレモン水だった。非常にすっぱくって閉口した。

インフォで聞いたミスラー通に行く 銀座のショッピング街の如く並んでいる。結局のところこ
こでついつい3万近く使う。 というのもレゴのショップを見つけてキーホルダーに引かれてつ
いつい購入。カードが使えないとかのトラブルがあったもののなんとか購入できた。
こういうときはあせる、、、

その後色々散策したが目当てのものはここしかないと同じビルのビクトリアのようなしなぞ
ろえのスポーツ屋で見つけたビーコンを購入。2590シリングこれも散財した。帰りに結局
オペラハウス周りで帰り、シュニッエルを食らう。うまいに限る。最後だったがその価値アリ
だろう。ビールを飲んだおかげでフラフラは結構来ているようだった。
まぁあとはユースで寝るだけかと思い気や海外初ナンパにいくとは、、ユースの同室の連
中は陽気だったまぁそのおかげでどうにかなったのだけど。結局のところ先にねてしまって、

それどころでは無かったが まぁすごいのだろうとなやますとこだ。たしかにヨーロッパの女
の人のレベルは高い。これはさすが化粧品が目指すのが白くなどと言うのからも感心できる。
少なくとも自己管理できている人にとっては偉く何でもなく 普段は化粧品がいらないと言う
のも納得できた。

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3日目

朝6時半に起きたにもかかわらずもう一度二度寝をしてしまってはや7時慌てて荷物をつめ早々
とユースを出た。久々にパスポートが帰って来た感じはなんとなく重い。

早朝雨が降るなかを足早に空港バスのある西駅に向かった。運よくそのまま5分以内に乗り継
ぎが出来て空港にはスムーズにいけた。
何かと準備と言うことで荷物のつめ直し、顔洗い、朝食 を済ませた(本来荷物などは空港でつ
め直すべきではないのだろうが面倒だし盗んでくれというつもりでつめ直す。荷物も減るし。)

外の店で見回ったりしながら早く電光掲示版が出ないか待っていた。これは後で気付くまで
間違いだった。10時になっても出ないと思うっていると実は搭乗中であった。711便テルアビ
ブ行きは搭乗中ですみたいなことを言っている。
久々にあせったがダッシュで搭乗口へ 結局30分遅れでいったがまた何人か搭乗手続中だっ
たので助かった。
遅れているのに搭乗手続き中というのもいきなりまだオーストリアなのにとっても厳しい。いき
なり個別カウンターみたいなところで 英語はなせますかと来る。 まぁと答えると質問攻め。
荷物はだれが包んだか、荷物はいつ包んだか。それは誰のか。最後に武器は持ってるかと
聞かれる。そんなもんあたりまえじゃないかと答えるしかないだろう。でも笑えない。

荷物をひっくり返しすべてだしたうえで再チェック。多分フィルムは御釈迦だろう。四回も素で
x線に犠牲になったのだから。そんなんで機上の人となる。

エアバス321のすごいところ TV画面が座席上空でいきなりすごい音と共にひらくまるで戦
隊もの風の開き方だ。当然ガイドはヘブライ語、ドイツ語、英語の三ヶ国しかない。まぁしょう
がないけど。3時間で到着。時差がないのは助かる。空港に到着しバスで空港入国カウンター
へ送られる。すこし苦戦を強いられたが入国を果たし、奇遇にもS氏に遭遇。 第一声は定番

奇遇だねぇだった。

ともかく金がないとという事で両替。日本円の電光表示版のない国を見た。いちお4つも両替
があれば当然あると思うけどその一つでひきかえできた。30分の1結構減る気がする 前まで
トルコにいたS氏からすると高いらしいがオーストリアの物価からすると安い。エアポートバス
に乗り込み市内へ。ホテル探しだ。のんびり海岸を歩いていると危険とは思えないがタワー
レコードを見つけて色々見ているとサブマシンガンを持った兵士が買い物に来ていた。いわゆ
るこれがこの国の現実なのだろう。改めて感じた。

マックへ行く 変わったものは無かったけどサイズが一つ違う。アメリカのそれよりでかい。

拳にして2つ分やっとわしづかみにできるほどのハンバーガーだった。 まぁそのほかは日本
で言うLLサイズがレギュラーだ。宿についてなんだかんだ今までの話している内に寝る。

ビールを飲んだ。なぜか甘い。なんなのかはわからないけど、、、

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4日目

朝からのんびりとしながらヤッホを目指す。海岸沿い少し暑すぎる湘南ビーチの感じである。
そんな中炎天下を歩くのは辛い。1時間あまり歩いたのであろうか。ヤッホに到着。少し丘に
なっているのでもう既にうんざりしつつも登り始めた。持って来て一番重かった英字のガイドが
ここで役にたった。確かにこういう観光地で役に立つといえる。歩き方マップは非常に参考に
なった。歴史を知らぬ間にいくとわかりにくいだろうが 結局のところガイドブックは使いかた
次第なのだろう。
その後、なんととりあえずバスの時刻を知っておこうとバスセンターに向かった。歩くが炎天下
歩く事は極めて厳しい。あきらめてバスに乗る。
ジュースを飲むのだがファンタ1本180円 高い、、、多分観光地価格なのだろう。
と思ったけれどこういうものらしい。基本的に缶ジュースは自動販売機で5シュケルだった。
この国ではジュース類は高級品なのだろうか。
バスで2つ目にてセンター到着。バスセンターは一代ショッピングセンターも兼ねており非常に
おおきい まぁ相変わらずだが入る前に荷物チェックこれがこの国の日常なのだろうみんな普
通に開けてあたりまえと言う見方をしていた。兵士は俺より若いくらい、片言(人のこといえな
いが)で他は何だときいて衣類だ荷物の他は特に怪しいものはないと言う事で良い旅をと送り
出してくれた。
そのとき個人的にこの国のどうにもならない現実とどんなに厳しくても仕事をしなくてはならない
という事の大変さがちょっとだけわかった。

中にいくといや市場かとも思いつつ上から下まであり生活が出来そうである。バス乗り場は6階
というのも変な数え方で4階ぶんでそのくらいの気がする。市場は活気があふれているが人のほ
ぼ大半は兵士でしかも高校生ぐらいのおねえちゃんから俺くらいまで 半数以上が肩からさしずめ
日本で言うところのムラサキスポーツのあの黄色?バックを下げるかのようにマシンガンを携行し
ている。バズーカ付き、狙撃銃、様々でハンドガンもある。玉をセットしている人もいるが大半はホ
ルスターをクリップつけてベルトにかけている。それと思ったけど指をトリガーにかけるのも辞めて
欲しいかなり恐怖である。安全装置があるとはいえ、、 

そんな中エイラート行きは24:30に出る事が判明 という事は夜をバスで過ごせると言う事だ。と
いう訳で宿代安くなるしと決定だ。となるとほぼ12時間近くすることがない。

飯を食った後でセンターの外に出るのも暑いしということでショッピングセンターで過ごす。スーパ
もあってやっぱりそいうところはそうなりに安かった。これはそれなりに感心結構色々ある商品も
使える。ただサイズだけは日本の2倍以上おおくて旅行者向きではない。
そんなわけでパンとコーン ミルクを購入した。このミルク、バターミルクで牛乳でない。うっかり確
認しなかった自分が悪いのだが失敗した。半分ぐらいしか飲めず破棄。そんなスーパを見たところ
で物価を考えると日本より少し安いくらいだった。 パン、コーン缶、ミルクで300円くらい。

水は大体1リットルで100円 スーパとかはもっと安い。そんな物価でも貧乏にはつらいとおもう。

早く両替すればいいのか、、

色々時間があると相談も増える 空港にリコンファームしようぜとかなったりエジプト行き決定とか
なって空港で処理出来る要件がいっぱい増えて空港へ行く事となった。 一人で、、
イスラエルで空港に向かうのはまたかと思う。びっくりするのは空港で入る前にバスの車内検査
がある事だ。鞄の中身を一つ一つチェックするような国だからそういうものなのかもしれない。

まず空港に来たのは 航空券のリコンファーム、エジプトについてのガイドを探すこの二点だ。
結局 ターミナルは締まり、暇そうなおにいちゃんに聞くと予約カウンターの裏に連れていかれ
聞いてくれたが 使えん。オーストリア航空の職員。だめの一点バリだ。電話しろと言う電話が
出来んからきとるやないか まぁ、そのおにいちゃんいわく、ともかくはやくくりゃ乗れるから大丈
夫だ。 という事をいわれた。そんなもんか。
世話になった親切なにいちゃんに礼をいって分かれた。次の用事であるガイド購入。実は空港
に来て思ったのだけど ちょっと前まで敵対国じゃんということで当然ガイドなどおくはずがない。
まぁそういうもんだろう。あきらめて帰る。バスまで時間があると思うので色々散策した。

空港はよくできている。そういう作りなのだろう。 チェックも厳しい。まぁそこを定刻通り離れて
帰るバスに乗り込んだ。 うっかりしたのが任務完了として油断してバスで寝た事だ。また寝た
のかといわれそうだがうっかりしていた。ターミナルにつくとバスの運ちゃんがターミナルだぜと
起こしてくれた。再合流し夕飯へ。夕飯後が大変で腹痛で耐えられずベンチに横になりそのま
ま寝てしまった。
23時30分ごろ起こされあと1時間ともなる。ゆっくりゲートに向かいバスをまつが人の動きがど
うもおかしい。
無言で出発番線がかわりやがった。やられたとか思いつつ 急ぐ。ようやく乗り込んだ。後から
言われたけど結構ベンチとかで寝た。

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5日目

朝5時 エイラート到着。日も開けていないいないので休む事とする。7時までのんびりとして
いた。 結局のところその後 エジプト領事館がやってないことに気付き 急にいろんな予定
が変更になった。 そうなんと国境越えである。1時間近く適当に歩いて車に乗っている人に
も聞いて国境まで限界を感じタクシー使用へ。20とかいいはる運転手を15にしてもらい送っ
てもらった。 これが国境かと思うとすごい。口頭でセキュリティーチェックを受けて出国税を
払い(しかも61シュケルもした 1800円くらい)出た。
なにもない鉄条網で覆われている、いわゆる干渉地帯である。 そこをわたりながら越えて

ヨルダン入国 イスラエルとの大きな違いは ジョークでもいいながらと言う点、あかるく適当
(いい意味で)だという事である。 そんなわけで入国を実感し ヨルダン国境へと入る。近く
の街まで、かなり遠い事を聞いていたので タクシーに強制的に乗せられる。タクシーの運
ちゃんも調子よく会話するがいかんせんうちらには金がない ちょー高い色々ガイドしながら
送ってやるよをふりきり中心部まで送ってもらった。

その後泊まる前にバスの時刻でもみようと言う事になりバス停へ 休日休みかとおもいきや
結構やっている その時点でペトラ行きは休日だからないと言われた。アンマンまで行くかと
決めた後で まぁじゃぁフェリーかね、となる。しかし休日の上やっていなそうなのでわからず
腹も減って来ていたので飯に。いわゆる中東のお店兼、屋台だ。チキン半身(まるごと)ご飯、
ペプシ、ナンのようなパン。すごく多かったけどうまいし腹も満タンになった。これで2JDだった。
イスラエルとはまた違うんだろうなと改めて感じた。

陽気なにいちゃんと適当に会話をしながらうまいよと言っておいた。バス乗り場へ。アンマン
行きに乗ろうとすると欧米人が話しかけて来た。ペトラ行くんだけど。え、一瞬耳を疑う。今日
休みじゃんとか思ったが これはいくしかないでしょう。そう言うと納得。ただ休みだからダイレ
クトにはいかないと言う。 マアーン経由だと言う。どこか知らなかったけどこれ幸いと乗り込
んだ。ヨルダンはかなりアバウトだ その後の乗りかえで金額が変更になるし。このアバウト
さとこのことなのだと実感した。その後で乗り換えバスもないので相乗りタクシー(セルビス)
になって値段も上がる 結局2、5JDでこれた。まぁ400円なのでイスラエルと比べれば安い
と言うべきだろう。

ついに目的地であるペトラに入る。 ヨルダンは観光地なれしている。はなしかけまくる。めん
どうなことこのうえない。ここまで旅行していて日本人と遭遇しない旅もめずらしい。宿はペトラ
までいっしょだった外国人の親父さんとともに行き、全部付き10JD(二晩)だった。やすいなぁ
ヨルダンは。

ゆっくりと二人で宿も決まったので入り口まで見にいった。15分くらい下り坂を行くと入り口に
なる。整備されたビジターセンターもある。まさにだれかが形容していたディズニーランド並だ。

そこまで来て宿に戻り適当な夕食を済ませる事にする。ペトラ入口まで3km、行きは下り坂で
はやく来たが帰る時は当然登り坂になり結構ある まぁしょうがないし安い宿なんだからといい
聞かせた。夕飯に帰る時にスーパーに寄り夕飯と朝飯をそろえた。夕飯はイスラエル製パンと
ツナ缶、ヨーグルト ペプシだ。まぁこれがいいかどうかは旅行の状況によりけりだろう。 

まぁこの時点ではかなりよかった。飯の後日記を書いてそのまま寝てしまった。

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6日目


朝4時 アザーンとともに起こされたこういうものなのかイスラムはと痛切に感じる。まぁ聞きお
わる前に眠くてまた寝てしまった。 朝7時にゆっくり時間を過ごしながら準備開始。 昨日の
状態から早々と復帰しなくてはとなる。 朝飯のフレークを食いながら考えた。

今日もなんとかなるだろう。後で実は何にもならなかったという事になる。ATMで金が下ろせ
ないのだ。 金がない。やられたなぁ。 きれてもしょうがないが何にもならない事態である。

あきらめてS氏のT・Cで行く事になる。いわゆる、こういうときは友人は大きい。俺に金がな
くてもナンとかなると言う事なのだろう。
ペトラへの入場料を払い入る。25JDこの国にとってこれは異常だ。2で飯が食える国で25
とは週給並みだ。金額も考えればディズニーランドとはうまい例えだ。中では歩くが、どこに
行くにも、かなり距離がある。ペトラは歩き回る よく考えさせられた。
いったことはないけどグランドキャニオンに近い気もする。膨大な渓谷、いくつもの地層。

これはすごいなぁと思う。感心する。至るところに新宿駅前のアクセサリショーのような露店が
広がり買うように薦めてくれる。まぁいらないのだけど。商売ってものなのかも。

長い谷間の道を抜けて行くと宝物殿が見えた素晴らしい眺めと共に、映画インデージョーンズ
最後の聖戦の舞台に来る。なんだかこれなのだなぁと感じた。確かにこの感じだ。
ピンク色の遺跡というものだ。確かにこの色はここでしか 自分でこんだけ写真をとっていなが
ら言うのも変だが出せない。百聞は一見にしかずというのかなんというかいいとしか言えない
眺めだ。それは感じ納得出来たことは感謝すべきであろう。と久々に思った。宝物殿だけでな
くトータルの感じとしてだけど。奥にある山を越えて夕日がさし込む寺社の一つを見てこれはこ
こまでこない観光旅行はとてももったいないと考えさせられた。

来る時にある旅行会社のパンフレットを見て来たのだけど8日間でアラブ各国をみる事になっ
ている。そのうちペトラは半日割かれているのだけど それで一体どのくらい見れるのだろうか?

難しいし旅と言うか、ほとんどが”忙しい”で終わり。なんか魅力が半減しそうな気がした。ここ
で言うのも何だけど自分がパッケージ旅行にはついていけないのはここにあると思う。集団行
動が非常に苦手と言うのもあるけれど自分の意志は少しもない。効率的に回れるのは上げら
れるけれど。適当主義の自分にあわないだけなのだろうがやっぱり難しい。

多分今後10年は変わらないだろう。そのあいだは迷惑をかけないように自分の旅のスタイル
を続ける予定だ 国内も国外も。 

まぁ共に連れて行くやつには迷惑かけて、ごめんなさいだけど。

帰る時にアイスを食べた。やっぱりこういう時の後はアイスはうまいなぁと思った。餅のような
パンを0、2JD購入むちゃくちゃ量が多い上、安い。それと水、肉を皿で買い夕飯となる。腹
いっぱいだ。そんなこんなでこれを書いたあとに、ぺトラのガイドを読んで色々行くところある
なぁとその広さを感じながらゆっくりと寝る事になった。

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7日目

朝7時半起床 ゆっくり過ごしながら今日はペトラに向かう事になる。朝飯も食べたし。ATM
をチェックするが、まただめだったようだ。という訳で今日も向かう中、多くのタクシー運転手
から タクシ?と聞かれる。
いかんせん下ろせないのだから当然そんな金もない。という訳で勘弁して欲しい。

まぁ昨日ほど多くなかったのでその点は朝早いと言う事でよしとしよう。 やはり二日目
ともなると慣れたものだ。でもやっぱりスケールの分、距離があるような気がする。遠いな。

さて入場する時にパスポートを見せるように言われた。やはり2日券や3日券を途中で買っ
て売る奴等をチェックしているのだろう。
安くいこうと狙ってる人がいたらそれは出来ないのを痛感 まぁなかなかうまくやっていると
いう事だろう。
今日は結構忙しい。ホテルのにいちゃんの話だと今日はアンマン行きは午前中で終わり
午後はないという じゃマアーン行きはと聞くと3時だと言う。そいつはと思い結構聞いてか
ら忙しくなる。

3時までに戻ってこないとねと考えたからだ

入口付近の犠牲祭壇に登る。ある意味でペトラは金がないと国立公園めぐりに近い気がす
る。自然と岩山登りである。お金があれば動物の移動システムを利用出来るのだ。ゲートに
到着するとおおくの観光客が着ている。多分フランスのツアーの人々が来ていた。

見晴らしは最高だ。さすがと言うべきか非常に優れている。苦労して登ってきたかいがあっ
たと思う。帰る時はさすがに疲労困廃といったようになるほど疲れた。だらだらと下りながら
丘を越えて見ているとアーいっぱい来ているんだなぁと思った。さて宝物殿まで戻り一息入れ
て帰る。ちょうど一時くらいの日差しで非常に暑かった。昨日アイスを食ったところで飯を食べ
て帰る事にする。こんなところでばりばり餅のような地元のパンを食っているやつに声をかける
やつは希少だ。そして戻る。坂道は非常にきつい まぁしょうがなくのんびりと長いと
感じながら3往復だがもうこれでラストだと思うと感じも変わった気がした。

帰る途中でもう一度銀行で引落にチャレンジ

いけた

このときは思わずガッツポーズしてしまった。一気に金持ちだ。のんびりと戻りホテルに預け
ていた荷物を受け取り去る。去る時まで日本語で サラバジャ といわれる。なんか違うけど
まぁ ジャパニーズスマイルでなんとか流した。バス停まで行く途中現地人に話しかけられた
りしてそんなに日本はめずらしいかもしれない。さていきなりあったバスに交渉。
マアーンまで行くと言う。アンマンといいつづけたがともかく乗れという事とマアーン行けばな
んとかなるだろうというヨルダン的考え方により行く事にした。勢いよく出発してすごい早さで
走りゆく。色々とS氏と話しているうちに突然運ちゃんが前の車を止めて何か話し込んだ。
そして、二人、来いと言う。何かと思うと前の車に乗せるように交渉してくれたのだ。
ヨルダン人の暖かさに感激した。 アレイコアッサラームとか調子よくありがとうなんて意味の
かじりかけのアラビア語を言って別れた。
そんなわけで、来いといわれてのった車は、ある意味ヒッチハイク。 スイスから着た夫婦の
かたと会話をしながらまた自分のブロークンイングリッシュを反省しながら2時間あまり。
送ってもらった。 夫婦で旅行をしている方なので迷惑にならない程度にいろんな話しをして
過ごさせてもらったやっぱりヒッチハイクはお邪魔して乗っているわけだからエンターティナー
もしくは話しをする人として乗り込まなくてはならないと思う。例え語学力が厳しくともだ。

自分は相手の言っている事はわかるのだけど自分の事を言えなくて歯がゆかった。
そんなわけでアンマン市内到着。まさに感謝感激を受けて。また”ついてからカード払いで”
なんていわれて笑いながら見送った。
アンマンはでかい町だ。非常にでかい。大きさにびっくりしながらダウンタウンのホテル探し
をした。

適度な宿で安心してとまる。久々にテレビを見た。エルサレムやばしというのはよくわかった。
また、うまい飯をレストランで食って感激だ 金があるっていい事かもしれない。コインランドリ
ーは見つからなかったけれどまぁいいだろう。

そんな中今日は激動(移動?)の一日だった。

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